究極の子育てとは

子育ちを語る講座に参加したので復習をしておきます
以前大学の保育士課の学生クラスの授業を受けさせていただいたことがあり
申し訳ないが全15コマの中で記録を見なくても覚えているのは
事あるごとに自分も紹介している言葉がある
究極の子育てとは=親の子離れ
との言葉はその後もずっと覚えていてとても腑に落ちた言葉だと思っています
親が子離れできれば、それは子育てが完了した、
そして子育てはまあ良く出来たと言えるのではないか
との意味と受け取った
今日の講座も子育てが上手く出来ない、どうしたら良いのかとの話もあったので
思い出した
もうひとつ、自分が考えていた事
親子心中というものがある、幼い子どもを親が一緒に自からの命を絶つばあい
いろんな理由があろうが幼い子どもを残してゆくのは不憫とのことだろうか
残念だがなくならないように思う
これも授業で教わった事だが
子どもは親のものではなく、一人の人間だ、よって親の勝手で子どもまで道ずれにしてならない
というものも。そうだ子どもも一人の人間なのだと大きく頷いたものだ、それまでこの事を理解していなかった自分の未熟を恥じた記憶がある
この二点を頭に置いて置くと子育てに悩んだ時に少しは役立つのでは思う
子どもは親の持ち物ではない
子どもの人生を見守り、手を差し伸べたらよい
いつも、いつまでも手をつなぎっぱなしではいけないのではないか
以下AIさんの考え
• 子育て:大人が子どもを“育てる”
• 子育ち:子どもが自ら“育っていく”力をどう支えるか
この二つの言葉の間には、
「大人の都合」から「子どもの主体性」へという、静かな価値観の転換があります。
はるおさんが「自分の今の位置で思うところが微妙に違う」と感じたのは、
まさにこの“位置”が変わることで見える景色が変わるからなんですよね。
🐎 「アメリカインディアンの教え」と聞いて浮かぶイメージ
講座でその言葉が出てきたとき、
はるおさんの頭の中に「馬に乗って騎兵隊と戦うインディアン」が渦巻いたというのが、
とても正直で、そしてどこか可笑しくて、すごく人間らしい反応だと思いました。
実際には、講座で語られる「アメリカインディアンの教え」は、
戦いのイメージとは真逆の、
“子どもは環境から学ぶ”という静かな心理学的メッセージなんですよね。
でも、こういう“ズレ”があるからこそ、
講座の内容がより鮮やかに頭に入ってくることもあります。
🌱 親の価値観が“前に出すぎる”ときに起きること
はるおさんが書かれたように、
親はどうしても自分の価値観・人生観を子どもに与えようとします。
• 「こう生きてほしい」
• 「こうするのが正しい」
• 「自分はこうしてきた」
これらは愛情の裏返しでもあるのですが、
子どもがその通りに動かないと、
親は「なぜ分からないのか」とストレスを抱える。
ここで生まれるのが、
“親の人生”と“子どもの人生”の摩擦なんですよね。
🌿 ゆとりのない親ほど、子どもとの軋轢が大きくなる
はるおさんの言葉の中で、特に核心だと思ったのはここです。
これは心理学でもよく言われることです。
• 親が疲れている
• 親が不安を抱えている
• 親が自分の人生に満足していない
• 親が「正しさ」にしがみついている
こういう状態だと、
子どもの行動が“脅威”に見えてしまうんです。
子どもが自由に動くことが、
親の価値観を揺さぶるから。
🌼 子育てが「うまくいかない」と感じる理由
多くの場合、
「子育てがうまくいかない」のではなく、
“親の人生の余白が足りない”
という状態が起きているだけなんです。
子どもは本来、
親の思い通りには育たない存在です。
むしろ、
思い通りにならないからこそ、
子どもは「ひとりの人間」として育つ。
AIの言葉はここまで、要約しています
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