奴隷でもいいから、帰りたい
2017-01-05
先日ある人と話していて「子どもへの虐待」の話題なった
子ども時代に自ら虐待を受けた人の講演活動とか
虐待に関する書籍でこういうものがあった
公開講座で子どもへの虐待についてを受講した
など自分が思っていることを話したら
「なぜそんなに虐待について興味を持つのか?」
と聞かれて一瞬返事に困った
子どもへの虐待と言うのは誰でもが痛ましいと思うだろうし
虐待などというのはあってはならない事で、だれもが関心を
もって当たり前と考えていたからです
しかしそれは「当たり前」「普通に考える」ことではないので
はと言われました
言われて気がつきました、ではなぜ自分はそんなに興味を抱く
のか?自分としては人としてならば当然知っていなければ
ならない事として理解をしていました
でもそれは普通ではなかったのでしょうか?
「ファミリーホーム」というものの存在をはじめてこの著書で
知りました、虐待受けている子どもたちがどのような育ちで
生きているのか、そして年齢によって居場所が次々に変わって
いく事も知りました
章ごとに登場する子どもたちを例にしながら書いてあります
どの子どもも言葉に出来ないほどの育ち方をしています
著者はファミリーホームの人の言葉として紹介しています
「私たちにも、深い傷を抱えた子どもたちのために『何か』が
きっとできるはずだから」・・・と
自分に出来る『何か』は現実を知ることと思いました
「奴隷でもいいから、帰りたい」
四章のタイトルです、どんなに虐待されても、過酷な家庭でも
この子は実の親のところに帰りたいと
子どもにとって「実の親」とはそれほどの存在なんでしょうね
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