プリズン・サークル No2
この投稿はNo 1 から続きます
映画「プリズン・サークル」を見た人達が
zoom を使ってその感想をシェアをする
イベントに参加させて貰いました
映画は刑務所を二年間に渡り取材をした
ドキメンタリーです
「島根あさひ社会復帰促進センター」という
刑務所の詳細は映画HPにて詳しく書いてあります
のでそちらを見てください
TC(セラピューティック・コミュニティ)という
グループを作り自分に向き合い、自分をさらけ出し
他者からも質問をもらい、さらに自分を掘り下げる
(この説明が合っているかわかりません、すみません)
そんな対話が繰り返し続いている(ようだ)
この映画を見ていて、あとで知ったが参加自由らしい
のですが、やはり刑務所なので「限りのある」参加自由
ではと思ったものです
個人的感想ですが
自分がここにいたら、こんなふうに自らを語れる
ものか? 語っても本当のことなど話はしないし
指導者の気にいるように話すのでと思った
zoom ではそのような「演技」(表現は違います)
では指導者に見透かさられる、との意見も
ありました
つまり進んで自らの内面を吐露せざるような
雰囲気? となっていくようです?
自分の事なので恐縮ですが、自らを他人に
さらけ出すことなどは全くもって不得意な
人生を歩んでいるので「自分をさらけだす」
ことなど繰り返すが自分にとってはあり得ない
ことでは、などと思うのです
刑務所という特殊な環境のなせる事柄なのか
プログラムが巧妙? に作られているからなのか
「犯罪」に手を染めた人達だが、もっと早く
ここに入る前にこのプログラムを受ける機会が
あったならばその人の人生も大きく変わった
のではと思うと、残念な思いも湧き上がりました
「教育の機会」などと言ってしまえばそうだが
そんなことはこの世の中ほかにもたくさんあり
そうですね
メジャー系映画を見ていると夫婦が気軽に
「カウンセリング」を受けたり会社の社員が
カウンセリングを受けるように上司に言われる
シーンが出てきて「カウンセリング」という
のは特別な事をしてもらう、わけではない
という雰囲気が作られているやに思うが
日本では近年こそ「カウンセリング」など
で自分の事を聞いてもらうことが知られてきたが
やはり何か特別な事のように感じられる
親子間・夫婦間 でもお互いもっと自分の
ことを知ってもらうことができるようになると
良いと思うのだが、そんな事を考えるのは
自分だけなのだろうか
人様にわが事を知ってもらう・・・
プリズン・サークルを見て切に思う次第です