カマス理論・学習性無力感
2019-08-16
映画 「12ヶ月の未来図」を見ました
エリート校の先生が田舎のやる気のない
生徒たちだけの学校に行くことになり
教えてもわからない
学ぶ気力もない
そんな子どもたちに呆れた先生だが
作品の中でとても面白い言葉に出会った
半世紀も前なので今更ですが、自分は
学ぶことを諦めた中学校時代でした
ほとんどの教科が分からない
先生の言葉はさながら訳のわからない
外国語に聞こえたものです
一度つまづくともうその先は理解しょうと
言う気力もなくなり、以後全く無駄な授業
時間を過ごすこととなった
そんな中でも記憶に残っている出来事が
あった
ほんのわずかな「ヒント」「解き方」を
教えてくれた人がいて、それが驚くほど
簡単なそしてシンプルだが納得してしまう
ものだった
「教える」「学ぶ」と言うのは
教える側と学ぶ側の双方が同じ
フィールでにいないといけないのでは
とその時に思ったのです
どんなにすごい教えでも
学ぶ側がそのフィールドにいないらば
どうやって来てもらえるのか
その努力を教える側がしたら良いのだと
自らのことを責任転嫁するような話だが
今はその思いを心がけている
こちらは分かっていることなので
当たり前な気持ちで話しているが
聞き手がそうではないならば
わかるように話さなけばいけない
だれもが聞いてもわかる
今自分はそんな講座を心がけています
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