ブルーライトヨコハマ
いしだあゆみさんが亡くなった
このブルーライトヨコハマを聴くと浮かぶのはある光景だ
中学生のころだと思うが、夏のある日まだ眠っている六時頃だと思うが
トランジスターラジオからこの曲が流れてきて、
それを聴きながら家の掃除をしている姉の姿だ
農家の広い廊下を雑巾がけをしながらこの歌を歌っていたのかもしれない
それ以後ブルーライトヨコハマを聴くたびに、あのけだるい朝と新鮮な
空気が明け放された窓から入ってくるのを気持ちよく感じていた
ことを思い出す
それほどこの曲は中学生ながらインパクトの強い音楽だったのだろうか
たぶんヒットしている曲で一日数回流れていたので聞く機会も多かった
せいもあるのかもしれない
今やこの空気を感じた部屋はだれも住んでなくて物置と化している
雑巾がけをした廊下も、手入れが行き届かないのでホコリマミレ
になっているようだ
後何年かすると世代交代となる家なので、その時には部屋も家も
なくなるのかもしれない
ブルーライトヨコハマはもう耳から聞こえなくっているのかもしれない
こやす認定こども園 ピアノ付絵本らいぶ
どうすればよかったか ? これぞドキメンタリー
シネウインドが連日満席という評判の映画となっているようで
この日もほぼ満席でした
二時間越えの作品でしたが長さを感じず、場内は最後まで
皆さんが画面に見入っている空気が伝わってきました
それほどインパクトが強い作品との事だと思いました
冒頭
統合失調症の改善の期待やそれを表現する映画ではないとの
説明が文字で出ます
病気特有なのか知りませんが姉が変貌して行く様がリアルに
映像となっていて胸が締め付けられます
映像に残すという使命感が垣間見れる場面が続きます
自身も医者という父親の娘に対する冷静な判断と思われるが
他人から見たら、どうなのかと思ってしまうが
だから、「どうすれば良かったのか?」なのかもしれない
ほとんどの人はこの病を身をもって知らないと思われるが
事前に多少なりとも知識があれば、作品にも描かれているが
当人に合った薬を使用することで病気の改善が期待できる
のではなかろうか
その病との関係性はしらないが、最後はガンでなくなってし
まう事になる、なんとも皮肉なことだ
20年にわたり家族を追い続けるのはすさまじいエネルギー
が必要だったろう、そして20年間という時間はこうして
流れていくのかと病気は別にしても感慨深いものがあった
20年間は二時間で過ぎていった
新潟市 こやす認定こども園 R7年1月
初恋と立方体の呪い
なんせ小学校の時の事なのでどこまでが正確なのか
不安だが自身のことなので
お許しいただこう
何の授業なのか忘れているが、たぶん算数だったかな
突然紙が配られて「立方体」を書きなさいと言われた
たぶんそれまでの人生で立方体なんぞ書いたことが
なかったのだと思うが、頭の中では知っているが
立体を書くことが出来なかった
どう考えても書けないのだ
そしてついには涙目になっていたのだと思う、その時
それを見た隣の女の子が紙をとってささーと書いてくれた
そのしぐさがとても自然に、書いてくれた後も知らん顔を
しているのです、何とかっこいい、うれしかったのです
この一件でそれまで何とも思っていなかった隣の女子を
意識するようになったのです、たぶんそれは初恋では
なかったのかとその後思ったもんです
後日談が続きます
この立方体事件の流れか、全く違う流れか知りませんが
たぶん「体積」の勉強だったのかもしれません
どういう問題なのか忘れましたが、正解を出せなかった
のです
そしてなぜかこの問題が出来なかった自分を含めた数人が
放課後残されて方眼紙の一センチマスを切って一センチ
の立方体を作らせられたのです、小学生が一センチに切って
のりしろ作り、糊付けして一センチの立方体づくりは
とてもじゃないがうまく作れません
これは工作でも難易度が高い作業でした
他の子どもたちはどうだったのか全く覚えていないので
他人の事など見ている余裕がなかったんではと思います
先生不在でどのくらいの時間を格闘していたのか
たぶん半泣き状態だったのだと思い出されます
そんな自分たちの事など忘れていたかのように先生が
現れて、たぶんうまく作れない子どもたちを見ての事だと
思うが、格闘した一センチの立方体のあまりにも無様な
形に「これは無理だった」と気づいたのか
この作業と出来には全くふれずに、放免されたのです
その後このことは先生は触れることはありませんでした
こどもながらなに、あの作業は何だったのかと思いました
そして時々この二つの立方体事件は初恋の陰に隠れて
思い出されるのです、
初恋と呪い 何とも組合せが悪いのです