N0 1054「絵本の読み聞かせ」のようなものを
図書館派遣事業で新潟県刈羽村小学校の学童クラブ、1/2年生と絵本らいぶです
昨年度も開催してもらい引き続きの開催はうれしいてす、リピートで呼んでもらうのは「もう一度見たい」とのことと思っていますのでありがたいです
小学生に絵本、今更いうまでもありませんが、小学生も絵本は楽しめます、開始前に今年度になって学校や学童以外で誰かに絵本を読んでもらつたことはあるかと教えてもらいましたが、読んでもらっていない、との声が多くありました中には三歳の妹に読んでいる、との声もありうれしい答えをもらえました
そんなことで、小学生も楽しむ絵本らいぶ、持ち時間30分はほんとにすぐ終わってしまいました。子どもたちとも仲良くなれた気がしましたよ
今回は図書館さんのご依頼です
新任のキャビキャビの担当さんからは
「読み聞かせ」のようなもの
とのご依頼をいただきました、面白い表現です
確かに「絵本らいぶ」と言ってもわかりにくいかも知れません、とは言っても絵本の読み聞かせ、との一般に思われているイメージとも違います
「読み聞かせのようなもの」意外と合っているかなと思いました。
面白い表現なので今後この言い方を使わてもらいましょうね
絵本らいぶ・絵本講座の二枚看板で、さらに「読み聞かせのようなもの」をします。うーん なかなか良い響きですよね?
映画 「かば」こんなに愛のある先生は
1985年が舞台との事。
当時の教育界は今とだいぶ違っていたのだと思う、このような先生が実在していたんだろうな
生徒によりそう教師と言うのはこんな先生たちなのかもしれない、現代の評価主義では望むべくも
ないような気がするが
時代は多少ずれるが我が身の中学校時代を考えてみた。当時の先生の面影は今も記憶に残っている
自分の歳を考えれば当時の先生は皆さんご存命なのかと思ってしまう。中学時代の成績を思うと良く今こうしていられるのかと、今更ながらに不思議だ
「先生」と言う家業はよほど出来の良い生徒と悪い生徒は覚えているらしいが、となると悪い生徒として後世まで先生の記憶に残ったかもしれない
とっくに時効話なので書いておくが、中学時代にトラックを運転して補導されたことがある
農家なので当時の男子は中学生たるものは車の運転をして家業を手伝っていた、農道とは言え公道なので無免許運転となり御用となる、あろうことか反省の色がうすいとのことで家庭裁判所に何回も通うことになったのは自身の逸話としてたびたび登場している
現代ならば大騒ぎになり、その後の人生にかなり影響が出たと思うが、当時はまだ世の中平和だった
卒園児が35年ぶりに帰って来た
以下みえちゃんのFBより転記
部落差別とは
日報抄(一面最下部掲載記事)に紹介されていたので見ることが出来ました
「部落」問題の実際はあまり知らずに来ていて、何かモヤモヤしているものが自分の中にあり今回の映画を見てもその差別実態というか問題そのものはちゃと理解するに至らなった
笑われることを承知で書くが、自分の田舎は各集落のことを「〇〇部落」「部落」と呼称していた。
子どもの頃からこの部落という呼び方になじんでいて、その後「部落差別」のことを知ってからややこしく感じて理解を拒んできたように自分は思うが、この呼び方と「部落差別」は関係ないと思うが語源はどこから来たのか、やはり気にはなる
初めて身分制度を知ったのは白土三平さんのコミック「カムイ伝」 を読んでからだと思う、書店で立ち読みした個所がちょうど「えた」と言う言葉が出てきて興味を持ち全巻を大人買いしてから読んだというより学んだかもしれない
部落差別を薄っぺらな知識では語らないが、話は飛躍して申し訳ないが「差別」は今も形はいろいで存在している、当初のコロナ罹患者を攻撃するのも差別だと思う、映画は入門編として見るのもいい
島崎藤村の原作を読んでみようと思う
「絵本を読むのが上手い」の定義はない
画像は上から
年長・年中・年少・二歳児クラスで読んだ絵本です
月一回の絵本らいぶを開催していただいている保育園さん、四クラスを回って順次読みます、
年齢別クラスなので絵本を何にするか楽しい選書の悩みです(笑)
終わって気がつきました、三歳児クラスでは一冊しか読んでいませんでした、でも持ち時間はちゃんと時間通り使いました
何ででしょう。そうなんです毎回読み始める前は子どもたちとやりとりという名の雑談タイム過ごしています
最近は子どもたちもなれたものでふくちゃんが部屋に入ると、挨拶もそこそこに手を挙げて発言を求めるのです(良い子ですねー)
ひとりが話すと次々に手が挙がり話してくれます、すごいですねー
開始前、先生からお茶をいただきしばし歓談タイムとなり
「ふくちゃんは絵本を読んで17年たちますが、
読むのが上手いと言われたことがない」
との発言に皆さん一応リアクションをしてくれましたが
【そもそも絵本の上手な読み方】という定義が市民権得ていない
との話に、なんとなく納得との雰囲気になりました
うまい絵本の読み方というと、どんな姿を想像するのでしょうか
活舌が良い・声が通る・絵本の持ち方開き方が良い
などとなると、絵本を読むのがうまい、となるのでしょうか
いつも引き合いに出しますが、アナウンサーさんの読み聞かせはやはり「読むのが上手い」となるのでしょうか
自分の絵本講座ではいつも「お家で絵本を読むのにうまいへたはない」と話しています
父母が子どもたちと、お互いのぬくもりを感じながら好きなように楽しんだら良いのです。好きなように読みましょう
家庭でわが子に読む場合はそれでも良いが、読み聞かせ会などではそれはダメでは?
との声もありそうですがわが子への読み聞かせは経験がなく、いきなり保育園での読み聞かせからこの世界に入り、我流で通しています、そして「読むのがうまい」とはあまりお褒めにいただけません。
代わりに「読み方がへた」とも一回も言われていませんし、それを理由に出入り禁止になったこともなく同じ場所での定期絵本らいぶやオファーも幸いなことにいただきます
お褒めいただかないのはたぶんですが、読み聞かせにおいてどんな姿だと「うまい読み聞かせ」という定義が世の中にはないのではと思っています、でもあの人はうまいよね、という時もあるかもしれませんがはたしてそうなのか、例えばお家で絵本を楽しんでいない人は、その「うまい読み聞かせ」というものに出会ってもはたしてそれが上手いのか、そうでないのかの基準がないのではと思います
【絵本の読み聞かせがうまい」
との表現は自分は必要がないと思っています
2021年までの読み聞かせリストブログは こちら