絵本が好きなわけではない?
先日のイベント終了後の質問タイムで
「好きな絵本を教えて」との質問が出ました
イベントが終わった直後の高揚感? みたいな気分もあり
「絵本は特に好きではありません」
と答えてしまいました、さらに
「子どもも特に好きではないです」
などと答えたものでした
このふたつのセリフは日常的に聞かれたときにネタにしています
この質問に答えた後は説明をしています
自分の中の「絵本が好き」とは
絵本愛にあふれている(多くの絵本を持っている)
絵本について知識がある(絵本作家や書名に詳しい)
絵本について語らせると長い話が出来る(絵本の中身に詳しい)
などが主な「絵本が好き」の意味としています
自分はこれらのすべてに当てはまらないのです
よって「絵本は好きではない」となります
ではなぜ絵本楽語家や絵本講師と名乗る仕事をしているのか
わが子にも読んであげたことがなかった絵本ですが
それが「おならうた」に出会い
絵本はつまらないと思っていたそれまでの「絵本観」
がひっくり返ってしまいました
楽しいのです、おもしろいのです、自分で読んでも面白い
なーんだ絵本ってこういうものもあるんだと気がついたのです
それからは余計なお世話なのに
自分が絵本は「つまらないもの」と思っていたのだから
他の人もそう思っているかもしれない・・・
などと考え、まずは子どもたちにその思いを伝えたい
と思い保育園で読み聞かせの機会に恵まれて今日に至ります
それがなぜ15年以上にわたり続いているのか
読み聞かせのオファーをもらい仕事としているのか
最大の理由は
絵本を読む事で人とのコミニケーションに役立つようになったことです
絵本を読む事で子どもたちと知り合い
絵本を通じてそれまでは出会いようがなかった多くの皆さんと知り合いました
絵本を読む事で人生が変わりました
すでに子育て終わった世代なのに「現役子育て世代」
の皆さんと絵本で関わるようになり「子育て」に興味持つようになりました
自分の子どものおしめも替えたことがない、などとネタにしているのにです
絵本講座で話すことはずーと主旨は変わっていません
絵本は楽しい、楽しんで良い、大人も楽しめる
講座を受講した人たちからは
今まで自分の子どもに絵本読まなかったが今日から読みたい
今まで頑張って読んでいたが気楽に読めるようになった
今までの絵本のイメージが変わり好きになった
読み方にこだわらなくても良いと分かった
ためになる、ではなく自分の(親)が面白いと思うものを読もうと思った
などとの感想が多くあります、うれしいことです
絵本愛がなくても「絵本の大切さ」を伝える事が出来ます
「絵本なんてつまらない」
そう思っている人達がいる限り、そのお役に立ちたいと思います
理想の学校とは
映画「夢見る小学校」の自主上映会に行ってきました
学力を点数評価する「通知表」はない
先生:こども
ではなく
大人:こどもの関係
公立小学校でも点数評価の
通知表はなくせる
など羨ましい限りの学校
のように思えた
映画が終わってからグループに分かれて感想を述べるシェア会となった
自分のグループの参加者さんの自己紹介を見ていると、様々な人達がいるのがわかった。
今の立場からこの映画を見た時の感想などが面白い、なるほど自分の事として置き換えると、つまり自分がこの学校に通っていたならばどうだったのだろう、と考えるのかもしれない
グループワークの大きなテーマに
「理想の学校」という言葉が投げかけられていた
自分の主観では
理想の学校とは・・・
毎朝目覚めた時に 「あー今日も学校に行けるなー楽しいな~」と思える毎日である
こんなふうに思える子どもは今どのくらいいるのか、ほとんどいないのではと思う、子どもに
今日学校に行かなくてもいいよ、などと言ったら(もちろん何も支障がない事を理解してもらい)みんな休む選択をするのかもしれない
学校は楽しい所か?・・・・
否、学校とは楽しむところではない、という教育者も多いかも知れない
人生の礎を築くところが、楽しい所でなくてこの先の人生はどうするのかとも思う
自分の投げかけで・・・
今地域の学校に通うべき小学校と、映画に登場する小学校があり保護者にどちらに子どもを通わすか自由選択をしたもらうとなると答えはどうなのかと
たぶん従来の学校を選ぶ保護者が圧倒的多数ではないかと思っている
決まった授業がなく、受験対策もなく、絶対的評価の通知表もなく、校則も無縁
そんな学校に通わせる保護者はそれなりの価値観を持たないと無理ではないかと思うのです
しかし日本にこの小学校は存在している、地域の学校がこうなるにはどうしたら良いのか
それは
家庭→地域→学校→市町村→県→国 と変わって(変えて)いかなければならない、と思う
朝の始まりが、「今日も楽しい事が始まるぞ」だといいな~
No1088・MICが壊れたけど、3分で対応した
田上町地域交流センター
昨年のイベントが好評とのことで今年も呼んでいただきました
今年は絵本らいぶピアノ付Ver と ミニ絵本セラピーの二部編成でたっぷりの二時間となりました
アンケートで我が意を得たりと手をたたいたものがありました
【楽しく、いやされた絵本らいぶでした。読み方が上手いというこれまでとは違った、聴き手をひき込むふくちゃんのお人柄。お二人の詩、ひとりひとりもデュエットもステキでした】
絵本を読むのは上手くないけど良かった
とのことになるのかもしれません、いつも言い訳がましく
「絵本を読むのを褒められたことはない」つまり下手なんですね~
などと言ってます、それでもこうして呼んでもらえるのはなぜか?
心がけているのは
【絵本は楽しい】
【おいでいだいた時間は楽しく過ごしてもらう】
【絵本はだれでも読んでよい】
【お家で親子が気軽に楽しんで欲しい】
との思いが伝わるようにしているのです
今回はアクシデントがありました
リハーサルの時は問題なかったのに、本番でサー行こうとなって前に出て声を出したらPAから音がでず、とぎれとぎれになります。
こりゃまずい、ピアノとみえちゃんマイクは正常なので自分のワイヤレスマイクがトラブルのようです
マイクの音を送信機から出さずに直接ミキサーにいれたら出ました。マイクもミキサーもアンプも正常です、残るはワイヤレス送信機です。受信機は電波を正常に受けているので送信機故障と判断して、有線で音を出すことにしてマイクケーブルの予備を出して、めでたく音が出ました
この間の判定と作業は3分で行いました
絵本らいぶで音響機材を使用していると必ずトラブルはある、そしてどうしたら本番をこなすか、このことも試されます
普段からシュミレーションをしておかないと行けません
本番直前にトラブル、故障はそんなものですね
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2022年6月以前の読み聞かせリストブログは
こちら で見てください
せかいのおきく
平日の昼間、マニアックな内容の映画だと思っていたら、場内は結構な込み具合
GW期間で休みの人が多い
今日は一日で映画の日で大人料金
今日の新潟日報で紹介記事が出ていた、自分もそれを見て来ました
場内を見渡せば映画の日の特典を使わなくても良いと思われる年齢層がほとんどでした、映画の内容からすれば頷けますね
近年珍しいモノクロ映画、ほんの一部にカラーになる場面がありましたが、あれは何でしょう
モノクロにする理由がはっきりとあります、たぶんですが、カラーになったら見ることができません
放送コードに引っかかるのでしょうか
身分の違いがわりと平和に描かれています、元侍の娘の「おきく」は長屋住まいでもその佇まいは凛としています、そのおきくの小さな恋心は読み書きができない相手に伝える事が出来ない、おきくも突然の事件で自らの声を失い、話すことが出来なくなった
声を失った娘と読み書きができない男の意思疎通の場面は何ともじれったくなるが、良いシーンだ
声を失った娘は相手に大きく頷くことと大きく横に首を振る事しかできない、が美しい
そういえば言葉を操るようになった子どもは、いつの日か首を大きく振ることがなくなるなーなどと関係のないことを思い浮かべた、大人もしかりその時は言葉も交えているような気がする
首を大きく横に振りながら「いやそれは違うな」などとジャスチャーより言葉が重きとなる
登場するものの割にはのんびりと見れた、いや人間の生きざまには欠かせないのだから、何よりも大事な事なんだろう
ピアノを習うと集中力?がつくのか
一日目
二日目
絵本らいぶでお世話になっている ピアノのみえちゃんの教室の発表会
そしてご縁が出来たフルートさんの教室の発表会が同会場で二日間にわたりありました
ゲストという事で呼んでいただき絵本を読ませてもらいました
普段自分メインのイベントをしているので、ゲストとしての出演はあまりないのです
アウェー感いっぱいでのステージとなりました
今回思ったのは子どもたちの集中力がとてもすごいのです、しっかりと絵本を楽しんでいます。
自分の想像ですが、ピアノなどの習い事をしているので集中力がついているのか、集中力がもともと強いのでピアノを習う事が出来るのか、わかりませんが素晴らしいです
自分は普段あまり絵本になじみのないと思われる人達、子どもや大人に向かって絵本を読んでいます
その人たちのその時の聞く(見る)姿勢の違いはとても良く感じることができます。
この日が発表会という非日常故緊張感が続いているのかはわかりません
短い時間でしたがそんな皆さんに絵本を楽しんでもらい、こちらも気分の良い時間となりました
貴重な経験となり主催者さんに感謝いたします、ありがとうございました