「パパと絵本de子育て参加の会」
代表

絵本楽語家・福島はるおの
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絵本楽語家 福島はるお

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演劇のような読み聞かせ?

2016-12-08

地元紙に幼稚園さんでの絵本らいぶ&ミニ絵本講座
を記事にしてもらいました
これを見た知人がメールをくれて
記事にある「演劇のような読み聞かせ」
とはどんな読み方か?と聞いてきました
子育てを終えて特段絵本に興味があるわけではない人ですが
「演劇」のような・・に興味を持ったらしいのです
では演劇のようではない絵本の読み方とはどんなものか?

言われた自分も気がつきました
記者さんの頭の中には「絵本の読み聞かせ」とは
「こうやって読むもの」とのイメージがあるので
そうではない読み方を
「演劇のような読み聞かせ」
と、表現したのではと想像します
絵本講座をしていると
「どんなふうに絵本を読めばよいかわからない」
つまり読み方をどうすれば良いか悩む人達が絶えません
普段絵本に親しんでいる皆さんは
普通に読めば良いのではと考えますが、この普通が
わからないので悩んでしまいます
世の中では「絵本の読み聞かせ」とはかくあるべき
このようにして読むのだ
との教えが教科書のように存在します
よって自分の子どもにそのような読み方をしても
しっくり行かないと、悩みや疑問を感じて読めなく
なってしまいます
記者さんも今回の取材での読み聞かせは自分の中で
イメージしている「読み聞かせ」とは少し違ったのかも
知れません、例えたら「演劇のような」になったのでしょう
わが子に絵本を読むときは、好きなように読んでください
と絵本講座で話しています、(前後の話もありますが)
絵本をどうやって読んでも「○○のような読み聞かせ」
とは思われない風景にならないと、すべての子どもたちが
お家で父母に絵本を読んでもらえないと思っています
絵本を読むのは特別な事ではなく
読み方も決して決まっているわけではありません


絵本講師をしている理由が(1)

2016-12-04

長文なので(1)(2)(3)(4)と分けました
興味のある方は続きもどうぞ
「午前十時の映画祭」とのタイトルでシネコンが数年前より過去
の名作品と言われている映画を上映している
映画館で同じ映画を2回見たのは後にも先にもこの作品しか
記憶がないほど自分の中では印象に残った作品です
現在我が家にはこの作品のDVDがあるのでいつでも自宅で
見れるし部屋の100インチスクリーンでも見れる、でも思い
立って映画館で見てきました
今日この映画を見ていて分かった事が2つありました
ひとつは
「砂の器」と言うタイトルの意味(自分なりの理解ですが)
もうひとつは
なぜ自分はこの「砂の器」と言う映画を気にするのか?
と言う事、そしてそれが今の絵本講師と言うものにつなが
っているのではないかと言う事です
映画の楽しみ方のひとつに「感情移入」があります
作品の世界に自らが入って主人公となりあたかもそこに
自分がそこにいるかのように思ってしまう
自分の視点と感情はこの作品の主人公の子ども時代だったと
気がつきました
映画のあらすじはネット情報に任せますが
幼い主人公(のちに新進作曲家)を親身になり一時は育てて
くれた人物を殺してしまわなければならなかったのは
主人公の実の父の抱えた「ハンセン氏病」と言うものが
大きく関わっています
それゆえ、実の父・一時の親代わり(殺人被害者)住み込みをした
子どものいない家庭での少年時代と何度も「父と子」「家族」
「家庭」と言うものを築いていこうとするが、砂の器のごとく
崩れ去っていく宿命だったのかもしれません
続きは こちら から


絵本講師をしている理由が(2)

2016-12-04



この記事はこちらからの続きになります
自分の父親は自分が生後三ヶ月の時に病死しています
よって自分は父親と言うものを知りません
「父親」を知らない、との感覚ではなく
父親というものを知らないのです
高校進学にあたり「戸籍謄本」を役場でもらったときに
父親の名前を係りの人に「これは誰ですか」と聞いた
くらいです、今思えば聞かれた方は自分の父親の名前も
知らない人とはどんな生い立ちなのか、などと思った
かも知れません
生後三ヶ月で亡くなっている父親なので、その後の人生
で父親の名前さえ意識することがなかったということです
今考えると「あぁ自分には父親はいないのだ」と意識した
覚えがありません、家庭環境だったのか時代背景なのか
「母子家庭」「片親」との思いも全くありませんでした
自分の中には父親と言う言葉は存在しなかったのです
父親を知らない、そんなことで辛い思いや悔しい思いを
したことはありません、存在を意識したこともないので
そんな感情もわかなかったのだと思います
続きは こちら  


絵本講師をしている理由が(3)

2016-12-04
砂の器 [DVD]
丹波哲郎
松竹ホームビデオ
2002-02-21



この記事は こちら からの続きです
自分はずっと今まで「父親がいない」
(正しくは自分が生後3か月で亡くなった)
事は不思議なほどに全く本人の中では意識したこともなく
ずーと今日まで来ました
自分はなぜこの映画『砂の器』に惹かれるのか
分からないまま今日まで来ました
しかし今回改めて劇場で見て気が付きました
映画の中の「父子愛」(おやこあい)とはこうなんだということに
自分は父親なんかいなくても関係がない
今までの生涯には必要なかった・・・
と思い込んでいたけど、ひよっとすると
父親というものにずーと憧れのようなものを感じて
いたのではないか、と考えました
映画の中では幼い主人公が実の父親と別れなければ
ならなかった事、その後家族のようなものを作ろうとするが
砂で作った器のごとく脆くも崩さった人生
そんな映画の人物に自らの生涯を重ねて見ていたのかな
と思うのです、もちろん映画のような人生は何一つ
おこらず平凡に今まで過ごしてきたのは言うまでもありません
続きは こちら


絵本講師をしている理由が(4)

2016-12-04



この記事は こちら からの続きです
自分は父親を知らないことには、何一つ思いはなかった
知らないことで不自由な思いもしたことがなかった
いないので「頼る必要」などもなかった
と、自分の中で「父親」にふたをしていたのではと思います
でも心の中では生後3か月にして亡くなった父親と言うものを
求めていたのかもしれません
あんた、ちゃんと子育てしてから逝ってよ
などと、そしてその思いは自分の中にある事を根付かせて
くれたのだと思います
父子・母子・家族
このキーワードは意識しないまま心の中にあったのです
そして今、この事を伝えるには自分は何ができるのか
そう考えた時に巡り合ったのが『絵本』ではなかったのか
だれでも読めて家族や親子をつなぐもの
絵本を使って紡いでほしい
その思いが「絵本講師」としてのエネルギーになった
のだと思います
「なぜ絵本を」との問いかけには実は漠然とした理由しか
思い当らなかったのです
今回この映画を見てその説明が自分の中でできました
砂の器に教えてもらいました